弥生時代のものでは日本最大級の環壕集落跡です。二重の壕で囲まれた集落跡からは350軒以上の住居跡、2000基を超える甕棺が発見されていて、中国の魏志倭人伝に記された「邪馬台国」ではないかとの論争も巻き起こしました。現在、国営の歴史公園として整備が進められており、展示室では出土品やビデオで発掘の様子を見ることができます。
昔、神功皇后が傷ついた兵士を癒した温泉に「あな、うれしの」と言われたものが地名になったと言います。1200年の伝続を誇り、江戸時代には宿場町として栄えました。温泉は85~90℃と高く、食塩含有炭酸アルカリ泉。リューマチや神経痛に効果があります。
細なイメージで見るものを魅了する伊万里・有田焼。この美しい焼き物の歴史は古く、朝鮮陶工の李参平が1616年に有田町の泉山に良質の陶石を発見したことに始まります。その後、酒井田柿右衛門によって赤絵(上絵付)の技法が始められると、華やかな製品が次々と生み出されました。これらの磁器は伊万里港から日本各地、そしてヨーロッパに運ばれました。これが古伊万里(オールドイマリ)と呼ばれるようになった由縁です。このように伊万里・有田焼は大きく発展を遂げますが、この発展は、より高度な品質と技術を維持しようとした鍋島藩の保護奨励策「御用窯」と陶工の努力からもたらされました。長い歴史を持つ伊万 里・有田焼は、艶やかな白磁とあざやかな色彩が織りなす、まさに至高の芸術。伝統とともに焼き込められた陶工の技と情熱が、昔も今も人々の心を魅了してやみません。また、最近では伝統的な美術工芸品の他にも、建築用タイル、衛生陶器やニューセラミックスと呼ばれる超高温高圧のもとに合成する新しい製品の開発も進んでおり、新しい時代の焼き物作りのメッカをめざしています。